Open Infomation 105  前進

プロジェクトを生かして、これまで2000年間続いてきた価値観の相違による争いに終止符を打つことを目指しています。かつて2020年にトランプ氏がアブラハム合意を成されました。アブラハムの宗教ユダヤ教キリスト教イスラム教)の始祖でかつユダヤ民族イサク)とアラブ民族イシュマエル)の共通の父祖であるアブラハムの名に因んで「アブラハム合意」と名付けられた様です。 ここには、宗教の自由を含む人間の尊厳と自由の尊重。相互理解と共存に基づく、中東と世界の平和の維持と強化の重要性。「アブラハムの宗教」と全人類の平和の文化を広めるため、宗教・異文化対話の促進。といった中東と世界中の平和、安全、繁栄のビジョンを追求するものでした。この理念の普遍性が、この合意の価値を高めたのではないかと思います。米国をはじめ世界中のメディアもこの成果を賞賛しました。現地の人々だけでなく、世界にとって重要な意味を持つものであったのではないかと思います。
近年、人類は神を忘れ、蔑ろにしてきました。そして感染症や紛争、さまざまな自然災害、経済やエネルギー・金融危機に直面しています。今こそこのアブラハム合意を超え、人類全体の総意を結集しなければならない時であると思います。それは自分たちがやりたいからという事ではありません。もう危機は目前にあり、今すぐに走り出さなければ、津波に飲み込まれる寸前です。

ユニバーサルショットプロジェクトのミッション。それは今の世界のニーズであると思います。そして人類の救世主は、仏陀の生まれ変わりとして日本に生まれられました。それは、イエスが天の父として祈りを捧げていた存在です。世界の伝統的な宗教指導者達を導いてきた存在です。だからこそ、世界の宗教を包含できます。それは、大川氏が生前に、すでに実証されてきました。
たった1度の説法でインドやアフリカの多くの人々が確信し、入信したのです。その感化力。真理の重み。人々が感じた幸福感やエネルギー。その聖業にに比べレバ、私たちの努力足元にも及びません。無力さを感じ、ただただ切ないばかりです。しかし、それでも微力ながら、この危機を乗り越えることを目指し、プロジェクトを推し進めています。アニメーションやブログのメッセージなどでも伝えながら・・・。
私は、少し人々の反応を感じることがあります。最初は、救世主の存在を伝えても、かなり反発や疑問の声がありました。しかし、徐々にそれは減っていきました。特に信仰心のある人が多い国では、肯定する人がどんどん増えています。危機の時代に、人々は神を求めざるをえません。中には神を信じない人や唯物論的な人もいます。影響力の高い人にも多いのでしょう。大衆の流れはまだはっきりとしません。まだ公の場で宗教を語ることは難しいと考えがちです。

転換の時は迫っています。このユニバーサルショット宣言の機会が、流れを変えることになるでしょう。それはプロジェクトの内容が良いからではありません。全ての人の存在が、神とつながるかけがえのない存在であるからです。それが人類共通の意識として蘇るからです。そして現実にその影響が現れ、世界が変わって行くからです。そしてその宣言を打ち出す人や国。その人々が人類の歴史をも転換させ、新たな宇宙時代を切り開いていくことでしょう。この内容を何人かの方にお伝えしました。しかし気持ちばかりが先走り、恥ずかしい文章でした。今、少し直したところです。

そうした中、BRICSの会議にてプーチン大統領がこの様な事を表明してくださいました。中国やアラブ諸国の方々も参加され、有意義な機会になったのではないかと思います。信仰の価値以上のものは、過去にも未来にもない。ということは多くの宗教が伝えてきたことでしょう。その事が聖書に記された一文であるだけでなく、現実になりつつあることに感動を覚えました。また同時に、信仰の自覚としては、はるかに先を進む国が、多いと言うことも感じました。日本はこの点については、発展途上であるかもしれません。
真実の神の光が地球に降り注いだのではないかと思います。日々の仕事や目前の事にアクセクしていましたが・・・。人類が主とつながる根底に流れるもの。神とつながる潜在的な意識。それを目覚めさせられたような気がしました。前回の X(Twitter)の皆様に続き、BRICS参加国の皆様に心から感謝申し上げます。皆様の揺るぎない前進にエネルギーをいただき、私たちも一歩を進めていきたいと思います。
本日も先日に続き「発展思考」よりお届けします。
大川隆法著「発展思考」より
すなわち、真理を広げようとしているときであるからこそ、その行為の一つひとつのなかに、限りなく愛を込めていくことが大切なのです。差し上げる一冊の書物に愛を込める。 語りかける一言の言葉に愛を込める。その眼差し一つに愛を込める。その自分の人生の一歩に愛を込める。小さな者の手を握る、その掌にも愛を込める。ささやかな便箋一枚の手紙にも愛を込める。自分がなそうとしている、一つひとつの小さな事柄のなかに愛を込める。 それが大事なことなのです。
愛は、小さなところから発展していきます。 手近なところから発展していきます。 身近なところから発展していきます。今、自分ができる、ささやかな行為のなかに愛を込められないか。 一つの封筒のなかにも愛を込められないか。切手を貼る、その指の力にも愛を込められないか。宛て名書きの、その一文字一文字にも愛を込められないか。電話をかける、その手に愛を込められないか。その挨拶の言葉にも愛を込められないか。
悩み苦しんでいる人に対しては、何をためらうことなく駆け寄って、「ささやかな一言をかけてあげたい」と思うような心。それが、とてもとても大事なことなのです。何度も繰り返して述べていますが、発展の最中に、「愛」という心を、 決して、決して忘れてはならないのです。三番目に申し上げておきたいことは、「この大いなる発展の運動の最中に、みなさん一人ひとりに自信と実力をつけていただきたい」ということです。私はそう考えています。
自信と実力とは相関しています。自信があればこそ、実力は湧いてきますし、たが実力があればこそ、自信はさらに深まってきます。まさしく、自信と実力は、互いに影響し合いながら、ともに発展していくものなのです。自信の根源は、いったい何でしょうか。それは理想です。仏の子としての理想なのです。
「われ、この世に生まれたるは、単なる生存のためではない。大いなる理想のためである。仏の理想を実現するためである。仏の子としての使命を果たすためである」と思って生きることができる人は、自信を持った人生を生きているに違いありません。
したがって、使命の自覚ということが、とてもとても大切なのです。ただ、この使命の自覚から来る自信も、実績をまったく伴わないものであるならば、他の人からは、単なる自己過信やうぬぼれのように見えることさえあります。本人はそう思っていないのですが、周りの人の目には、自己過信をし、傍若無人な振る舞いをしているようにしか見えないことがあるのです。こういうときには、やはり、本物の実力をつけていかなければなりません。
実力があれば、それに伴う実績が現れてくるものです。したがって、自分の実力を知りたければ、自分のあげている実績をじっくりと観察してみることです。そのなかに、「自分の実力は、どの程度であるか」ということを雄弁に語るものがあります。要するに、自信と実力ちょうど釣り合ってこそ、発展の原動力としては本物になってくると私は思うのです。
今、「実力を知るには実績を知れ」ということを述べました。 では、「実績を知る」とは、どういうことなのでしょうか。そのことを知るための最大の目安は、「時の流れのなかで自分の立場を知る」ということです。



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