ユニバーサルショット宣言について6

ユニバーサルショット宣言によって目指すマインド転換は、「科学を包含している宗教の真の姿」「信仰や宗教的パワーが未来や宇宙時代を拓く」という事です。そのマインド転換が、どれほど今、人類にとって価値あることなのかについて、お伝えさせていただいてます。

 

前回は、ロシアや米国のバイデン大統領やトランプ氏ともプロジェクトを創造していきたいということについてお伝えしました。その内容の通り、全ての地球の国や人々と共に創造していきたいのです。ロシアや米国だけでなく、アジアの国々、欧州や中東・アフリカ。主は全ての国、全ての人々に大いなる期待をし、愛し、育まれています。

 

先日ロシアのマリア・ザハロワ報道官が、「本当に平和を愛する人々は、武器の引き渡しを許さず、テロ攻撃にゴーサインを出すこともないだろう」と述べられました。本当にその通りだと思います。人の心の奥にある思考や理念が、形になって現れていきます。救世主・大川隆法総裁も、テロについては、どんなに信仰の為であったとしても、他を傷つけてする事ではない。と言われています。

例えば、このような悪事をした人たちとも、協力し合うのか?という意見もあるでしょう。それについては、2つのことが言えるのではないかと思います。

 

一つは、神はどのような人のいかなる失敗も許し、自ら悔い改めて成長することを期待し、望まれている。ということです。人間がどんなに凶悪な犯罪をしても、神はその人をすぐに消したりしません。本当にその人が心から自分の過ちを悔い改めた時、その瞬間から未来は変わります。この神が創られた反省や許しの力は、人間が作った法的な裁きを受けることに劣らない解決です。ただ法律や法廷を軽んじるわけではありませんが、人間の社会には捜査や判定にも限界があります。そして中には無実の罪を負う人もいます。勿論、本当に悪事をしてもいいという意味ではありません。また、止まらない場合は、何があっても現実的な手段や解決をしなければなりません。新たな発想や技術によって、これも改善されていくでしょう。

この大宇宙を創造した神の目は、全てを見通しています。霊界では、1ミリのごまかしも効かないと言われています。そして、心から悔いあらためた時、未来も変化していきます。

近年は、そうした悪が集団や国家レベルで起きることもあり、それがテロや戦争の悪化につながることがあります。そうした大規模なものに対して、解決しきれない現実もあります。また、人間の場合は立場や見方によって、善悪も変わってくることがあります。時間と空間がその真実を明らかにしていくこともあるでしょう。大川総裁も、「イエスが語ったように、その“果実”がどうであるかを見れば、その“木”がよい“木”であるかどうかは分かります。」と言われていました。

 

例えば、ウクライナ紛争についても、当初はロシアの一方的な侵略行為として、世界中がロシアを非難しました。多くの支援がウクライナ側に集まり、誰もが“ロシアの終わり“を感じるような厳しい制裁が課されました。

大川総裁は、当初よりロシアの正当性を認め、世界全体の流れが間違っている事を訴えられていました。2年以上が経った今、ロシアは制裁の影響も受けずGDPも成長しています。影響を受けているのは、世界の方になってしまいました。また、あれほど世界中の非難を受けたプーチン大統領は、80%以上の投票率で再選されました。ロシア人が、ユーチューブなどで他国の情報を見れなかった訳ではないでしょう。ロシアの人々が、世界中の報道を見聞きしても、大統領や自国の選択に対し、揺るぎない確信を持たれていたということです。

そして、ロシアがどれほど民主的な国かは、訪れた多くの人々が語っています。一時は、ロシアの戦争犯罪についてメディアでも取り沙汰されたことがありました。それが間違いであったことも明白です。やはり「真実が少数派の方にあることが多い。」と言われていた主の言葉の通りでした。

法律の起源も、宗教的なの善悪をベースとして創られていますが、やはり神の視点に立つとき、真の善悪を見抜くことが出来るでしょう。そして本当の解決は、心から悔い改めた瞬間、あるいは反省を続け、心が成長し、変化した時であると言えます。

従って、本当に地球の未来を創造していきたいという方向に前進される国や人々と協力していきたいと考えています。さらには、これまでマイナスの要因があったとしても、地球の未来のために悔い改め、新たな創造に立ち向かっていただきたいと願います。その決意と行動の真価によって大きく変わっていくでしょう。神は人類に限りない許しと慈悲を与えられています。その神の創造を具現化していくことが、本プロジェクトです。そしてこの愛と許し、慈悲。といった“神の創造“へとマインドの方向転換をするということが、このユニバーサルショットプロジェクトなのです。

この善悪について、大川隆法著「地獄の法」より、最終章の救世主のメッセージからお届けします。

 

知―霊的な真実に裏打ちされた「仏法真理」を学ばなければ、魂の向上にならない

それから、「愛・知・反省・発展」の「知」は何かということですけれども、これは「仏法真理」のことであって、本当の世界観や霊的な真実、神仏の教え、こういうものに裏打ちされた知識でなければ、この世で学んでも魂の向上にはならないということです。だから、「神は死んだ」とか、「唯物論がすべてだ」とか、「この世の利便性だけが、もう最高のものだ。幸福なのだ」というふうにだけ考えていくならば、違っていると言わざるをえないし、「自分がどこから来て、どこへ行くのかさえも知らない人類」というのは、ちょうど、「駅のホームに立って、自分が何のために駅のホームに立っているのかを知らない人間」と同じです。それは、次に来る列車を待っていて、それに乗ってどこかに行こうとしているということであり、「どこから来て、どこへ行くかを知らない」ということは、「自分自身を見失っている」ということと同じなのです。

 

・反省―犯した罪や思い、行いを振り返り、心を磨く

さらに、「反省」という言葉を述べております。人は地獄に堕ちることがあります。仏法真理に反した生き方をしたときに、地獄に堕ちます。ただ、そのときに、いたずらに反逆心を起こして、神への反抗に加担するだであってはならないということです。自分自身が、自分自身の犯した罪や思い、行いを振り返り、反省することによって、心を磨いて天上界に還っていくという機能を与えられているのです。だから、その力を、もう一度、取り戻してほしいと思います。 それを、生きていくうちの学習の中心軸に置いてほしいと思っています。

・発展ー徳を積んだ者が、多くの人たちを導いていけるような、ユートピアづくりを

そして、最後に「発展」という言葉が来ますけれども、この発展のなかには「ユートピアづくり」ということも入っています。ユートピアづくりは、いろいろな思想のなかで述べられていることではありますけれども、「ユートピアなのか、ディストピアなのか」ということを峻別できないようでは駄目です。ジョージ・オーウェルの『1984年』や『動物農場』に書かれているような、そういう社会をユートピアと考えてはなりません。この地上において修行し、徳を積んだ者が、多くの人たちを導いていけるような、そういう国や社会を目指していただきたいと思います。

 

いやしくも、人の上に立つ者が、嘘偽りを駆使し、そして、お金や地位や名誉を利用して、人々を扇動する力でもって権力をつくっているということは許しがたいことだし、陰謀によって世の中を自由に動かすということも問題外だし、ましてや、マスコミを使って誤った情報のほうに人々を誘導して、全員を海のなかに突き落とすようなことがあってはならないと思います。

本来のユートピア社会は、霊天上界とも調和できるものでなければなりません。マスコミの原理が、「疑い」「疑」ということを中心に発展しすぎていることに対して、たいへん悲しみを感じております。また、この世における知識の獲得を一つの身分制として、現代、民主主義社会のなかにおける身分制社会として、知の獲得をもってそれに代替していることが流行ってきておりますけれども、その「知識を得る」ということは、「智慧を得る」ということと必ずしも同じことではありません。

知識のなかにおいて、ダイヤモンドの光を宿しているものを選び出すこと、そして、そうした本物の知識に、「人生修行」という名の経験を通すことによって智慧をつくり出していくこと―これが大事なことです。これなくして、単なる点数とか偏差値とかいうようなもので、学歴主義で、人々を統治階級に上げるか上げないかを決めて、その偏差値でもって、生まれつきの貴族のごとく、人々を見下したり、支配したり、命令したりする根拠とすることは、残念ながら、「天上界的なものではない」と言わざるをえません。それは一つの迷妄だというふうに考えられます。

2つ目は、この大宇宙の神の創造に心を合わせていくと、自然にその波長と合う人々とつながっていくということです。私たちが他の人を見て人間心で善悪を決めるのではありません。自らを磨き神の創造を目指していく時、その波長と合った人々とつながっていくということです。

「光はあるときは粒子として顕れたとき、物質が顕れます。光が波として顕れたとき、想念や念いの作用として存在する」というこの大宇宙の創造の仕組みについて取り上げさせていただきました。このような創造に向かうとき、戦争などの破壊のエネルギーとは波長が違うため、交わることができなくなります。これは、病原菌などを寄せ付けないということとも同じです。大川総裁の書籍にも以下のように示されています。

 

大川隆法著「コロナ不況下のサバイバル術」より

ウィルスといってもまあ小さいですけれどもね。とても小さいものですけれども、一応憑依の原理とほとんど同じなので、これを取る。追い出すのも同じ原理、まあ基本的に働くんですね。実はこの感染には恐怖が関係があるのです。ウィルスとしてそれが憑依して、体に取り憑いて蝕んでいく前にですね、毎年のインフルエンザもそうですし、コロナウィルス感染もそうですけれども。そうしたウィルスが移る前に恐怖心の方が先に広がっていくんですよ。恐怖心ていうのはですね、恐れるものを惹きつける癖があるので、実に気をつけないといけないものなんですね。いわゆる悪霊・悪魔・死霊、こういうものが取り憑いたり、その人を病気にしたり事故を起こさせたり、死なせたりするのもですね、やっぱりとっかかりは恐怖心が多いんですね。その人が恐怖心を持つことによって、そこにとっかかりが出来て、入ってくる。そうした心配性から恐怖心が強いタイプの人は、あちらから見ると憑依しやすいところがあるので、気をつけなければいけないと思います。

憑依しにくいのはどういう人かというと、基本的には宗教的に言えば、オーラが出ているようなタイプの人。悟りに向かって精進しているような人や、世の人々に対してですね、愛を与えていこうとする人。奪う方じゃなくて、与える方。人々に良かれと思うことをしていること。心に常に善念をもって生きている人たちからはですね、自家発電みたいにポッポッと光が出る感じがするんですね。要するに地獄にあると思われるものと、反対のものを出していくということですね。明るく快活で積極的で肯定的で建設的なものの考え方をする。基本的にこういう病気でも、悪例撃退と変わらないといえば変わらないですね。だから光で追い出すことが可能だと思います。

恐怖心とか、信仰から離れている状態というのは免疫力が非常に弱い状態ですので、やっぱり「神の光の天使の一人なんだ。」と自分を思うような生き方をしていれば免疫力は強くなるし、「使命ある限り私を守りたまえ」という気持ちで生きていくことで、体内に入った悪いものを追い出すことができると思います。やっぱり正しい信仰を持ち続けるということで、「健康で世の中の繁栄のために尽くしたい。」と思っていることも非常に大事なことだということですね。それは健康を維持するための方法でもあるし、中年期以降ですね、認知症・ボケ等にかかりにくい頭の機能が、活発に続いていくためにも必要なことであろうかと思います。

私自身も、事故や妨害などの様々な経験をし、魂の奥まで相当鍛えられました。覚悟したこともあり、今では何かあっても、恐怖にとらわれず、冷静に対応できるようになってきました。こうしたことで、“常に神と共に在るという自覚や認識も高められました。それは、“何もなくても、何かあっても“一瞬一瞬が幸せ“ということです。神に“生かされている“ということが奇跡に満ちていて、どれほど美しく幸福なことか。その神の至高の美を、溢れる幸せと愛を、大聖堂やスーパーAI、未来の創造において、具現化していきたいと思います。このような未来への創造をしていこうという想いを共有できる皆さまと、つながっていきたいと思います。
この人生の限られた時間の中で、宇宙時代の無限の創造をどれだけ形にできるか分かりません。しかし、何度も生まれ変わっていく永遠の転生の中でも、稀有な機会です。文明の崩壊か創造か?と言われ、現実として迫ってくる極限の分かれ道。この時に、ユニバーサルショットとして、人類が創造を選択することができたら・・・。それは言葉にできないほどの奇跡の偉大な歴史の1ページになるでしょう。各国のリーダーの皆様に、その決断をしていただきたいのです。そしてあなたと共にこの奇跡の時を進んでいきたいのです。
6月中まで、ロシア・米国の単属宣言あるいは国際宣言のお申し込みをお待ちします。もしも、どちらからもなかった場合は他国や企業の申し込みを受け付けさせていただきます。多くの皆さまに、新たな宇宙時代を切り拓く主役となっていただきたいと願います。
ユニバーサルショット宣言の国際宣言の抜粋の動画をUPしました→ https://x.com/dgtlbkradio/status/1794782942566425011?s=61
今日も、皆様の創造への一歩が、鮮やかに輝きますように。最後に「不滅の法」よりそんなメッセージを添えさせていただきます。
 
大川隆法著「不滅の法」3章 霊性の時代へ
ある程度の年数、当会で修行を積んでいけば、病気治しやエクソシズム、さらにはリーディング能力を身につけることもできるようになってきます。
そういうことができる人は、しだいに増えてくるだろうと思います。
イエスの弟子たちは、イエスの生前には、ほとんど霊的能力を発揮できなかったのですが、イエスが亡くなって復活して以降は、病気治しができたり、異言を語れるようになったりする現象が数多く出てきました。師のイエスが生前に行っていたことを、弟子たちもできるようになってきたのです。
そこには、当然、霊界からの力も働いていたとは思いますが、それは基本的には「信ずる心」から起きていることなのです。
イエスの生前は、ほとんどイエスの一人仕事であり、弟子たちのほうは、「先生はすごいな」と思うだけで、奇跡を起こすことがほとんどできませんでした。
しかしながら、「イエスの復活後に弟子たちが奇跡を起こせるようになった」という事実は、「イエスの復活は現実にあった」ということを意味していると思います。つまり、「実際にイエスの復活というものがあり、その信仰の力によって、奇跡が起きるようになった」と考えられるのです。
結局、「信仰の力で奇跡が起き、そして、奇跡が起きることによって大伝道が始まり、世界伝道を行うだけの情熱が湧いてきた」と言えるでしょう。