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🇵🇱ポーランドのクラクフの西側の地域の様子2
もう一つ感じるポーランドの優しさの理由
アジアやオリエンタルの文化を受け入れて混ざり合った
マーブリングのような繊細さ
しっとりとした優しさ
さりげなさ...
それが、秋にはきっと芸術のように美しく切なく胸に迫るでしょう。
人生は美しいアート
70億のオリジナルの人生のアートが輝きますように... 🕊️✨クラクフの建物の壁画
クラクフの教会
ポーランド人はもちろん、ポーランドに来ている他の国の人にも本当に助けられました。ホテルをとってくれたり... 資料の翻訳を確認してくれたり...私は日本で、外国から来た人にこんなに尽くした事がなかったので、感激しました。
中でも、印象的な一日がありました。それは紫陽花が咲き乱れる広場の噴水の前のベンチでした。ベンチで本を読んでいたポーランドの人に、ホテルを知らないか聞きました。すると近所の自宅までスマホを取りに行ってくれました。そしてホテルを予約してくれ、家の前で私を待たせて食事代も持ってきてくれました。彼は23歳のサッカー選手で、まだはじめてから半年と言っていました。「見た目は同じくらいに見えるけど…」と、彼は私の年齢を何度か聞きましたが、「同じ?!?」と、流石に驚きが大きいだろうと思い秘密にしました。子供のような顔も、行きすぎると大変だと思いました。私は携帯を持たずにその都市に行ったので、連絡先も交換出来ず…ただ感謝を伝えました。
仕事も探していると言うと、簡単じゃないと思うけど、“Good lack!“と応援してくれたので、「私も午後の試合の成功を祈ってる」と伝えると、「そういえば一つだけ日本語を知ってる!」「私も二つだけポーランド語を知ってる!」というやり取りになりました。私の知っていた2つの言葉が「ありがとう」と、「美味しい」(笑)だったので、ユニークな別れになりました。
ホテルの場所は、とてもわかりやすかったので、大丈夫だと思ったのですが、見つかりません、キャンセルしたくても携帯もPCもありません。彼の家の付近で待ちましたが会えませんでした。
とうとう世が更けて、夏とは思えないほど冷え込みました。セーターや上着を来て防寒をしました。でも体が冷える体質なので、翌朝自分が生きているかわからないと思い、覚悟しました。最後には感謝の祈りをしたいと思い、人生で出会った人たちのことを思い浮かべ、感謝の祈りをしました。目を閉じて祈り、座ったまま眠りに落ちました。しばらくすると寒さで目が覚めました。
その時、向かい側の高級ホテルのドアが空いていて、まるで入って下さいと言われているような感じがしました。フロントでプロジェクトの支援として滞在させて欲しいと説明すると、「それは私に決められません。でも、一室、6時までで良ければ休んでください。絶対秘密ですよ。」と言ってくださいました。フロントの方はスマートに手際よくキーを準備して案内してくれました。
数十分後、ベンチは心地よいベッドに大変身しました。美しい室内に佇むと、まるでシンデレラに登場するおばあさんの魔法にかかった様な展開に思えました。フロントの方の出身地を聞くと、ウクライナの方でした.心の中の感謝を伝えつくせる言葉がみつかりませんでした。私はせめてスムーズに退出しようと思いました。5時に起きて準備し、部屋をもとにもどしました。明け方の冷え込みはさらに厳しく、もしベンチで過ごしていたら… こ身体のコンディションでは、本当に死んでいたかもしれません。本当に’命の恩人だと思いました。この1ヶ月、他にも様々なサプライズがあり、過酷な生活でも感謝に溢れていました。寄付を募ったものの、日本の口座もポーランドの口座も凍結のような状態にされていました。全ていただいた仕事や直接いただいた支援によって生きることができたのも本当に奇跡的でした。天使に救われたひと時でした。そしてもう一人、天使との出会いがありました。
中でも、印象的な一日がありました。それは紫陽花が咲き乱れる広場の噴水の前のベンチでした。ベンチで本を読んでいたポーランドの人に、ホテルを知らないか聞きました。すると近所の自宅までスマホを取りに行ってくれました。そしてホテルを予約してくれ、家の前で私を待たせて食事代も持ってきてくれました。彼は23歳のサッカー選手で、まだはじめてから半年と言っていました。「見た目は同じくらいに見えるけど…」と、彼は私の年齢を何度か聞きましたが、「同じ?!?」と、流石に驚きが大きいだろうと思い秘密にしました。子供のような顔も、行きすぎると大変だと思いました。私は携帯を持たずにその都市に行ったので、連絡先も交換出来ず…ただ感謝を伝えました。
仕事も探していると言うと、簡単じゃないと思うけど、“Good lack!“と応援してくれたので、「私も午後の試合の成功を祈ってる」と伝えると、「そういえば一つだけ日本語を知ってる!」「私も二つだけポーランド語を知ってる!」というやり取りになりました。私の知っていた2つの言葉が「ありがとう」と、「美味しい」(笑)だったので、ユニークな別れになりました。
ホテルの場所は、とてもわかりやすかったので、大丈夫だと思ったのですが、見つかりません、キャンセルしたくても携帯もPCもありません。彼の家の付近で待ちましたが会えませんでした。
とうとう世が更けて、夏とは思えないほど冷え込みました。セーターや上着を来て防寒をしました。でも体が冷える体質なので、翌朝自分が生きているかわからないと思い、覚悟しました。最後には感謝の祈りをしたいと思い、人生で出会った人たちのことを思い浮かべ、感謝の祈りをしました。目を閉じて祈り、座ったまま眠りに落ちました。しばらくすると寒さで目が覚めました。
その時、向かい側の高級ホテルのドアが空いていて、まるで入って下さいと言われているような感じがしました。フロントでプロジェクトの支援として滞在させて欲しいと説明すると、「それは私に決められません。でも、一室、6時までで良ければ休んでください。絶対秘密ですよ。」と言ってくださいました。フロントの方はスマートに手際よくキーを準備して案内してくれました。
数十分後、ベンチは心地よいベッドに大変身しました。美しい室内に佇むと、まるでシンデレラに登場するおばあさんの魔法にかかった様な展開に思えました。フロントの方の出身地を聞くと、ウクライナの方でした.心の中の感謝を伝えつくせる言葉がみつかりませんでした。私はせめてスムーズに退出しようと思いました。5時に起きて準備し、部屋をもとにもどしました。明け方の冷え込みはさらに厳しく、もしベンチで過ごしていたら… こ身体のコンディションでは、本当に死んでいたかもしれません。本当に’命の恩人だと思いました。この1ヶ月、他にも様々なサプライズがあり、過酷な生活でも感謝に溢れていました。寄付を募ったものの、日本の口座もポーランドの口座も凍結のような状態にされていました。全ていただいた仕事や直接いただいた支援によって生きることができたのも本当に奇跡的でした。天使に救われたひと時でした。そしてもう一人、天使との出会いがありました。
ポーランド人はもちろん、ポーランドに来ている他の国の人にも本当に助けられました。ホテルをとってくれたり... 資料の翻訳を確認してくれたり...私は日本で、外国から来た人にこんなに尽くした事がなかったので、感激しました。
中でも、印象的な一日がありました。それは紫陽花が咲き乱れる広場の噴水の前のベンチでした。ベンチで本を読んでいたポーランドの人に、ホテルを知らないか聞きました。すると近所の自宅までスマホを取りに行ってくれました。そしてホテルを予約してくれ、家の前で私を待たせて食事代も持ってきてくれました。彼は23歳のサッカー選手で、まだはじめてから半年と言っていました。「見た目は同じくらいに見えるけど…」と、彼は私の年齢を何度か聞きましたが、驚きが大きいだろうと思い秘密にしました。子供のような顔も、行きすぎると大変だと思いました。私は携帯を持たずにその都市に行ったので、連絡先も交換出来ず…ただ感謝を伝えました。
仕事も探していると言うと、簡単じゃないと思うけど、“Good lack!“と応援してくれたので、「私も午後の試合の成功を祈ってる」と伝えると、「そういえば一つだけ日本語を知ってる!」「私も二つだけポーランド語を知ってる!」というやり取りになりました。私の知っていた2つの言葉が「ありがとう」と、「美味しい」(笑)だったので、ユニークな別れになりました。
ホテルの場所は、とてもわかりやすかったので、大丈夫だと思ったのですが、見つかりません、キャンセルしたくても携帯もPCもありません。彼の家の付近で待ちましたが会えませんでした。
とうとう世が更けて、夏とは思えないほど冷え込みました。セーターや上着を来て防寒をしました。でも体が冷える体質なので、翌朝自分が生きているかわからないと思い、覚悟しました。最後には感謝の祈りをしたいと思い、人生で出会った人たちのことを思い浮かべ、感謝の祈りをしました。目を閉じて祈り、座ったまま眠りに落ちました。しばらくすると寒さで目が覚めました。
その時、向かい側の高級ホテルのドアが空いていて、まるで入って下さいと言われているような感じがしました。フロントでプロジェクトの支援として滞在させて欲しいと説明すると、「それは私に決められません。でも、一室、6時までで良ければ休んでください。絶対秘密ですよ。」と言ってくださいました。フロントの方はスマートに手際よくキーを準備して案内してくれました。
数十分後、ベンチは心地よいベッドに大変身しました。美しい室内に佇むと、まるでシンデレラに登場するおばあさんの魔法にかかった様な展開に思えました。フロントの方の出身地を聞くと、ウクライナの方でした.心の中の感謝を伝えつくせる言葉がみつかりませんでした。私はせめてスムーズに退出しようと思いました。5時に起きて準備し、部屋をもとにもどしました。明け方の冷え込みはさらに厳しく、もしベンチで過ごしていたら… こ身体のコンディションでは、本当に死んでいたかもしれません。本当に’命の恩人だと思いました。この1ヶ月、他にも様々なサプライズがあり、過酷な生活でも感謝に溢れていました。寄付を募ったものの、日本の口座もポーランドの口座も凍結のような状態にされていました。全ていただいた仕事や直接いただいた支援によって生きることができたのも本当に奇跡的でした。
しかし、こんなことばかりではと思い、とうとう今週、ポーランドを出る事も視野に入れました。多くの人々に助けて頂くばかりで、何も返せないのは、自分にとっても苦しい事です。何よりプロジェクトを進めなければなりません。
今ホテルに交渉させていただいているご提案を金曜日の夜までにお返事頂いた場合は、引き続きポーランドで進めます。名残惜しいですが、甘えてばかりではなく、ポーランドの方に頂いた多くの支援をもとに、プロジェクトを成長させたいと思いました。ポーランドは、世界の優良企業も輩出しています。スタートアップのためにかかる経費のコストも、フランスやドイツに比べるとかなり抑えられます。そしてどの教会に行っても人がいて、ポーランドの人々の信仰心の篤さを何度も感じてきました。ここから立ち上げたいという気持ちもあります。
一般的には、私の置かれた状況を、正統派のホテルが受け入れる事は困難かもしれません。しかし、出来るだけのことをして主に委ねてみようと思いました。大聖堂は、必ず完成させます。少しづつ応援の声も頂ける様になってきました。
世界の情勢は厳しく人々が嫉妬や批判、不満、妨害で、自分の心を自ら負のエネルギーで満たしやすい時です。このエネルギーをプラスに転換していけるように… 人々が幸せであることが、地球の未来をも幸せにする。それを現実にしていきたいと思います。未来への創造に共鳴していただけるようでしたら、ぜひDMまたはお電話にてお声がけ下さい。また、まだお声がけしていないホテルの方やポーランド以外の国の方でも構いません。お声がけ頂きました国のホテルで、このプロジェクトを進めさせていただきます。
貴ホテルのホスピタリティを世界で唯一無二のものとして印象付ける“リアルな奇跡のストーリー“ それを皆様と共に生み出し、歴史に刻んでいくことができましたら、これ以上の喜びはありません。世界遺産となる様なVRとリアルの大聖堂建設。世界各国からのボランティアやスポンサーの申し込みの機会を設け、ホテルの集客にも貢献致します。
そして、ホテルだけでなく、各国政府をはじめ、あらゆる分野の企業、団体の皆様のスポンサー参画も歓迎いたします。皆様の会社や組織の“ブランドストーリー“をかけがえのないものにする、インターナショナルなスポサーシップに、是非参画いただきたいと願います。創造以上の多くの愛をいただき、宇宙の扉は、拓き始めていると確かに感じます。
以下にホテルへの提案テキストを添付します。興味をお持ちいただけるようでしたら、ぜひDMまたはお電話にてお声がけ下さい。
中でも、印象的な一日がありました。それは紫陽花が咲き乱れる広場の噴水の前のベンチでした。ベンチで本を読んでいたポーランドの人に、ホテルを知らないか聞きました。すると近所の自宅までスマホを取りに行ってくれました。そしてホテルを予約してくれ、家の前で私を待たせて食事代も持ってきてくれました。彼は23歳のサッカー選手で、まだはじめてから半年と言っていました。「見た目は同じくらいに見えるけど…」と、彼は私の年齢を何度か聞きましたが、驚きが大きいだろうと思い秘密にしました。子供のような顔も、行きすぎると大変だと思いました。私は携帯を持たずにその都市に行ったので、連絡先も交換出来ず…ただ感謝を伝えました。
仕事も探していると言うと、簡単じゃないと思うけど、“Good lack!“と応援してくれたので、「私も午後の試合の成功を祈ってる」と伝えると、「そういえば一つだけ日本語を知ってる!」「私も二つだけポーランド語を知ってる!」というやり取りになりました。私の知っていた2つの言葉が「ありがとう」と、「美味しい」(笑)だったので、ユニークな別れになりました。
ホテルの場所は、とてもわかりやすかったので、大丈夫だと思ったのですが、見つかりません、キャンセルしたくても携帯もPCもありません。彼の家の付近で待ちましたが会えませんでした。
とうとう世が更けて、夏とは思えないほど冷え込みました。セーターや上着を来て防寒をしました。でも体が冷える体質なので、翌朝自分が生きているかわからないと思い、覚悟しました。最後には感謝の祈りをしたいと思い、人生で出会った人たちのことを思い浮かべ、感謝の祈りをしました。目を閉じて祈り、座ったまま眠りに落ちました。しばらくすると寒さで目が覚めました。
その時、向かい側の高級ホテルのドアが空いていて、まるで入って下さいと言われているような感じがしました。フロントでプロジェクトの支援として滞在させて欲しいと説明すると、「それは私に決められません。でも、一室、6時までで良ければ休んでください。絶対秘密ですよ。」と言ってくださいました。フロントの方はスマートに手際よくキーを準備して案内してくれました。
数十分後、ベンチは心地よいベッドに大変身しました。美しい室内に佇むと、まるでシンデレラに登場するおばあさんの魔法にかかった様な展開に思えました。フロントの方の出身地を聞くと、ウクライナの方でした.心の中の感謝を伝えつくせる言葉がみつかりませんでした。私はせめてスムーズに退出しようと思いました。5時に起きて準備し、部屋をもとにもどしました。明け方の冷え込みはさらに厳しく、もしベンチで過ごしていたら… こ身体のコンディションでは、本当に死んでいたかもしれません。本当に’命の恩人だと思いました。この1ヶ月、他にも様々なサプライズがあり、過酷な生活でも感謝に溢れていました。寄付を募ったものの、日本の口座もポーランドの口座も凍結のような状態にされていました。全ていただいた仕事や直接いただいた支援によって生きることができたのも本当に奇跡的でした。
しかし、こんなことばかりではと思い、とうとう今週、ポーランドを出る事も視野に入れました。多くの人々に助けて頂くばかりで、何も返せないのは、自分にとっても苦しい事です。何よりプロジェクトを進めなければなりません。
今ホテルに交渉させていただいているご提案を金曜日の夜までにお返事頂いた場合は、引き続きポーランドで進めます。名残惜しいですが、甘えてばかりではなく、ポーランドの方に頂いた多くの支援をもとに、プロジェクトを成長させたいと思いました。ポーランドは、世界の優良企業も輩出しています。スタートアップのためにかかる経費のコストも、フランスやドイツに比べるとかなり抑えられます。そしてどの教会に行っても人がいて、ポーランドの人々の信仰心の篤さを何度も感じてきました。ここから立ち上げたいという気持ちもあります。
一般的には、私の置かれた状況を、正統派のホテルが受け入れる事は困難かもしれません。しかし、出来るだけのことをして主に委ねてみようと思いました。大聖堂は、必ず完成させます。少しづつ応援の声も頂ける様になってきました。
世界の情勢は厳しく人々が嫉妬や批判、不満、妨害で、自分の心を自ら負のエネルギーで満たしやすい時です。このエネルギーをプラスに転換していけるように… 人々が幸せであることが、地球の未来をも幸せにする。それを現実にしていきたいと思います。未来への創造に共鳴していただけるようでしたら、ぜひDMまたはお電話にてお声がけ下さい。また、まだお声がけしていないホテルの方やポーランド以外の国の方でも構いません。お声がけ頂きました国のホテルで、このプロジェクトを進めさせていただきます。
貴ホテルのホスピタリティを世界で唯一無二のものとして印象付ける“リアルな奇跡のストーリー“ それを皆様と共に生み出し、歴史に刻んでいくことができましたら、これ以上の喜びはありません。世界遺産となる様なVRとリアルの大聖堂建設。世界各国からのボランティアやスポンサーの申し込みの機会を設け、ホテルの集客にも貢献致します。
そして、ホテルだけでなく、各国政府をはじめ、あらゆる分野の企業、団体の皆様のスポンサー参画も歓迎いたします。皆様の会社や組織の“ブランドストーリー“をかけがえのないものにする、インターナショナルなスポサーシップに、是非参画いただきたいと願います。創造以上の多くの愛をいただき、宇宙の扉は、拓き始めていると確かに感じます。
以下にホテルへの提案テキストを添付します。興味をお持ちいただけるようでしたら、ぜひDMまたはお電話にてお声がけ下さい。
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