①5日にお越しの皆様へ
プーチン大統領、ゼレンスキー大統領、バイデン大統領、各国首脳の皆様へ

12月5日から直接申し込みのプロジェクトの受付をワルシャワのシェラトンホテルのラウンジでさせて頂いています。
5日の日は、窓がわのテーブル席が一杯でした。もしもプロジェクトの申し込みにお越し頂いていた方がいらっしゃいましたら、大変申しございません。あわてて、ブログにコンセント付きのハイテーブルである事を追記したのですが... 万が一 5日にお越し頂いていましたら、お声がけ下さい。
 
またハンガリーとドイツの首脳には、訪問やプロジェ クトへのご協力を頂きたいとのメールを送らせて頂いておりました。万が一お返事を頂いていました場合、こちらで受け取りが出来ておりません。この数週間、メール が届かない事もありましたので、その様でしたら謹んでお詫び申し上げます。
 
今回は、各国のリーダーに向けた内容であるにもかかわらず、前半に私の個人的な事を記載します。もしかしたら私的な内容にうんざりされる方もいらっしゃるかもしれません。後半にその理由も伝わるかと思いますが、何卒、ご容赦願います。
ウクライナをはじめ世界各地の戦争や粉争の終結に向けて、私自身も、米国の大統領選の頃から、ずっと集中してきました。世界の流れが変化してい る事を強く感じていました。
米国の方々はもちろん、世界中の国々で、人々が戦争をよしとせず、自ら平和を選びぬいた瞬間を目の当たりにしました。
メディアやSNSなどの情報に流されやすい時代になりましたが、デジタルに人々の心が負けなかった様に感じたのです。子供から高齢者まで、多くの人々がスマホと共に生活し、電車に乗ってもバスに乗っても多くの人の目線は、スクリーンに引き寄せられています。そんな中で、 多くの人が自らの心の声をキャッチし、行動されました。

その頃、各国でも様々な動きがありました。私も多い時は、2日に1回、寝ない日があったりして、さらに数週間、スマホを失い、持っていない日が続いていました。 何日か?何時か?も分からなくなる事もありましたが、とにかく時間をどうやって 配分して少しでも郊率を上げるか?何を優先事項にするか?あるいは、何を切り捨てるかを考える日々でした。
 
長らく帯在していたポーランドを離れる事も覚悟し、荷物の整理や、婚約者とも会い、出来るだけ身辺を整理した状態にして去ろうと考えていました。
クラクフに置いてあった 荷物を取りに行くと、冬服が手に入ると思っていたのですが、グレーのバックが1つなくなっていて、 トランクのみになっていました。バックの方に冬用のコートが入っていたので、とてもショックでした。
昨年、センスの良いワルシャワの古着屋さんで、冬が終わるというのに、気に入って買ったものだったので、残念に思いました。 紺色のクラッシックなデザインで、素材がしっかりしていて、あったかかったのです。
もし見かけた方がいましたら、どうか教えて下さい・・・・。
そしてタイトな時間の中で、婚約者にも会いに行きました。私はかねてより、ロシアへの亡命を考えていたので、プーチン大統領に一人で行くべきか、あるいは結婚してから行くべきか?という質問も送っていました。丁度その頃、私は日本のネットニュースで、ロシア大統領から、「ロシアの軍に入隊すると、本人も配偶者も借金が免除される」と発表された記事を見ました。私は、"配偶者"の話が出されたことで、「結婚してから」という回答として受け止めるべきか考えました。そして、尚更、彼の意思を確認したいと思っていました。
現在の彼の居場所は、電車でワルシャワから3〜5時間ほど、北に向かったグダンスクの方向でした。ポーランドのこの地域に行くのは初めてでした。北で海の近くという事もあり、寒いのではないかと思っていましたが、行ってみるとそれほど ワルシャワと変わりませんでした。それより も、海の近くだからか、とても空気が循環して、風が吹きぬけていく様な、すがすがしさがありました。帯在したホテルのオーナーや現地の人々も、とてもさわやかさが溢れていて、ハートには暖かさがあり感動しました。オーナーは、船舶の指導などもされている海の男。海の様な広い心と、おだやかでやわらかい笑顔が印象的でした。さらに本当に素敵な人達との出合いもあり、思いがけない素晴らしい帯在になりました。 ポーランドの北の海は、私の想像とは正反対で、とても心あたたまる場所でした。
久しぶりに会った婚約者に、婚約を解消しに来たと言えず...。そして会った途端に、離れるのは無理だという事が分かり、そのまますぐに他国に行く予定をしていたので、困惑しました。
彼と初めて会った次の日、プロジェクトの企画書を見せると、彼は私の前から消えました。 再び会った時は、彼はプロジェクトをやめてほしいと言いました。三度日には、彼はしばらく進めるのを止めて、時を待ってほしいと言いました。四度目に会った時、彼は自分が働くから私はプロジェクトを進めていい。そしてその後、彼は「協力する」と言ってくれました。
最初の頃を思うと、本当に大きな変化です。彼はラジオ局のディレクターを8年問していて広告活動も熟知していたので、私がやろうとしている事が、どれほど 無謀で大変な事か、リアルに分かっていたのだと思います。
さらに、私は彼の元を飛び出すと、プロジェクトを進めながらジプシーの様に生きている。それを受け入れる事は、相当困難というか... ありえない事だったと思います。
しかし、私の事を "クレージーウーマン”と言いながら、いつも助けてくれました。
 
彼の仕事のトラブルについては、もしかして私が関ったせいではないか...? 私がかかえている迫害の問題が、伝染しているのでは?と不安になった事もありました。
心配になって聞くと「そんな事はない」と言って私は「思い込みすぎだ。」 と、私を"迫害マニア"と呼びました。
しかし、最近は、彼の電話やメールの調子も悪く、連絡を取り合う事も難かしくなってきました。彼が私に嫌気がさした場合はもちろん、そうでなくても、連絡出来なくなる程の事が起きているなら、いずれにしてももう別れるべきかもしれない…。
あるいは、本当に一緒に進むなら結婚や亡命の相談もしたいと考えていました。
一時的には、ポーランドを去る事を決めたので、この機会に、はっきりさせておこうと思ったのです。
ところが北の海の人々のあたたかさと、彼の変化は予想外で、どうしたら良いのか分からなくなりました。そして、お互いを信じる事が、彼にとっても私にとっても課題として存在しました。
私は婚約を解消しないなら、彼にもドイツに来てほしいと思いました。彼は英語もドイツ語も話せないし、一緒に行くのは嫌だと言いました。
しかし、彼の仕事先のボスが食事に招待してくれた時、私はボスに向かって、彼に休みを与えてほしいとお願いしました。二転三転しながらも、休みが与えられ、彼は行くと言ってくれました。
一度受け入れてくれたものの気が進まない彼に、それなら英語の堪能な人に協力をあおいでもいいかと聞きました。すると彼は炎の様に怒り「それならもう、その彼の所へ行け!」という様な事を言いました。
私は「他の人の所に行くくらいなら、もう一人でいる!」ただ協力してもらうという事に対して、過剰な反応をする彼の態度が、理解できませんでした。そして、私は彼に信用されていない事を感じてショックを受け、荷物を持ってホテルを飛び出しました。
今までにも、他の人と寝るくらいなら空港や駅で寝た方がましだと思い、そうして来ましたが、まさか一緒にいる時に、こんな事になるとは...。ただでさえ時間が限られているというのに!
彼の極端な言動は少年の様であり、私も、自分から飛び出しておきながら迎えに来てほしいとメッセージを送り、お互いに子供の様でした。
 
しかし、二人とも、その様な表現しか出来ない程、大きなプレッシャーをかかえていました。二人というより、私が彼に対してプレッシャーをかけていたというのが事実かもしれません。
私が「戦争を終わらせなければならない」と言うと、彼は、 まるで自分が世界の中心にいる様な事を言うな! 恥ずかしい事だ!」と言いました。彼の言う通りです。 私は、自分が、恥知らずで常識離れした考えを持っている事を十分に分かっていました。そして何を言われてもいいと思っていました。
しかし、心のどこかで彼だけは自分を理解してくれるという期待を持ち…。それを投げかけていました。 私は駅で一夜を過ごしました。
彼がお気に入りの場所だと言っていた暖房の上の窓辺に座っても、1人だと全くあたたかくありません。シックな駅のフロアのベンチに移動して待ちましたが、迎えに来てはもらえませんでした。
長い孤独の時を超え、私は「どうなったとしても、進まなければならないんだ。」そう思って、明け方オープンしたマクドナルドで、あったかいドリンクを飲みました。少し気を取りなおすと、視界に彼の姿が入ってきました。
「もう一度だけチャンスだ。」と言って、彼は仕事に行きました。「戻ったら プレゼンに行くから、プレゼンのアポイントを夕方に変更しておく様に。」と言われました。
でもアポイントはまだなかったのです。何としてもアポイントを取らなければ・・・ あわてて、近くのホテルを訪問し、30分ほどで2件のアポイントを取りつけました。 今までにこんな事はなかったので、自分でも驚きました。
 
最初のアポイント先は、彼が昔、仕事で長期滞在をしていたワルシャワのホテルと同じホテルでした。
ところが、いざホテルに着くと、彼は体調をくずしてしまいました。 「えっ!?ここまで来たのに?」私の驚きは、髪の毛の先まで飛び出しそうでした。
しかし、私は瞬時に無理やり冷静さを取り戻し、「じゃあ、一人で行ってくる」と言って出かけました。翌日は、別の都市に行く計画だったので、変更出来ない状況だったからです。
ホテルのマネージャーやスタッフの方に説明をし、ホテル内も見学させて頂きました。海の眺めがとても美しいイベントスペースや客室は素晴らしく、ビジョンは広がりました。
彼の様子が心配で、一度滞在中のホテルにもどりました。
まだ体調が思わしくない様だったので2件目も一人で行きました。しかし2件目のホテルでは、私は日にちを勘違いして話をしてしまいました。私はその日が12月4日であるにもかかわらず、2日だと思いこんでいたのです。
相手の表情から自分の恐るべき勘違いに気付きました。よりによって2日も…!全てのスケジュールも変更しなければなりません。

その後、私はすぐにカフェ に入り、スケジュールの変更など、すべき事をしました。彼は、一人の方が私に気をつかわず、ゆっくり休める様な気がし、私も自分の作業に集中できると思ったからです。
作業を終えて夕方、とても悲しい気持ちになり、涙が止まらなくなりました。 1時間ほど、泣きながら彼に手紙を書き、戻りました。
彼の方にも何かあったのだろうか?後で聞いてみると、その頃、彼はボスと電話で話していました。クレージーウーマンについつて相談していたのかもしれません。
私は、なぜ涙が止まらなかったのか、分かりませんでした。戦争で多くの人が亡くなっているのだろうか? 
後で知ったのですが、それも事実でした。ある報道では、わずかこの1週間ほどで、ウクライナでは13000人もの兵士が亡くなったという事でした。あまりの数...この報道が違っていたとしても、数の違いだけで、命が失われている事には変わりありません。
そして、彼も体調をくずしながら、クレイジーウーマンを目の前にどの様に進めば良いか、頭をかかえていました。
 
私は 「なぜか分からないけど、もう二度と会えなくなる様な気がして、ずっと泣いていた。」と打ち明けました。彼は静かに「どんなに望んでも、どうにも 出来ない事はある」という様な事を言いました。
私達は予定変更の事を話し、その日の夜のワルシャワ行きの電車を確認しました。
その後、思いつめれば息が止まりそうな現実を、部屋の片すみに置いて、私達は彼のスマホに流れてくる tiktok を、ただ見ていました。時々笑いながら... 
 
そういえばよく考えてみると彼と私は似ている所がありました。
笑う所が似ていたり。
時々子供っぽくて、良く言えば純粋な所。
フットワークが軽くてすぐに行動する所。
食べる事も料理も好きなところ。
美しいものを見る事も作ることも好きなところ。
人目を気にせずマイペースなところ。
 
一方で違う所は、役割分担するような関係でした。
自然が好きな私は、見つけた草木について聞くと、彼はまるで植物図鑑の様に詳しく教えてくれます。
時々ガイドさんか教授の様に説明する彼の話を、私は旅行者か、生徒のように聞き入ります。 
自由を求める私が、彼の東縛だけは、気持ち良い痛みに感じられたり…
そして完璧ではありませんが、彼とはお互いに自国語を使いながら意思疎通が出来たり…
残された時は、あっという間に過ぎてしまいました。駅まで約30分。バスもありましたが、歩いた方が確実に予定どおりの時間で行ける様な気がして歩きました。 歩きながら話をするのも好きでした。でもその時は、せまり来る時間を背に、何を話したらいいか分からず… ただ進みました。
私は電車に乗っても、行きたくないと泣き… 彼はまるで任務を果たす軍人の様に、私を列車に乗せました。
でも、走りだした列車の中の通路を、逆走して走ってくる私を見ると、笑っていました。
あっという間に姿が見えなくなり、なぜ明日の朝の列車にしなかったのかと後悔しました。
車内で切付を買う予定でした。車掌さんに聞くと、この電車はワルシャワ中央駅に行かないと言われました。
普通なら驚くべき所で、私は喜んでいました。もとの駅にもどれるか聞くと 反対のプラットフォームから別の種類の列車ですと教えてくれました。
私は、3つの事を後悔していました。なので戻れる事になり、 それがチャンスで、まるで神様からのプレゼントの様に思えたのです。
 
彼のいる滞在先のホテルに戻りました。少しでも願いが叶ったと思ったのもつかの間で、あっという間に朝になってしまいました。
彼はどうせならもう少し後の電車でと言いましたが、私は時間を遅らせる事は受け入れなかったので、衝突が始まりました... 
それを避けようと、あわててホテルを出たので、後悔の残りの2つの事が出来ませんでした。
切付を買って電車に乗ると・・・私の買った切付は、最速でワルシャワに 着く電車だったので、出発時間は1時間後でした。座席に座って いた人が教えてくれ、1時間も時間が出来た事を喜びました。
ホテルまで片道30分だと、彼の所にいられるのはわずか数分です。トランクをあずけられる様なロッカーもありません。タクシーも見当たりません。たとえ1分でも行こう。
再び走り出しました。少しでも早く進めたら、その分長くいられる...と思うのに、足は思う様に動いてくれません。
みんなにヘビーなケースだと言われてきたトランクは、まるで私の足に鉄のくつをはかせた様な負荷を加えます。
やっとの思いでたどり着くと、予想通り、彼はまた怒っていました。
私は2つ目の目的を果たし、3つ目は時間がなく、その場を去りました。通りに出てから、ふり返った時、彼が建物の影にかくれたのが見えました。私は気がつかなかったふりをして駅に向かいました。
私は彼が駅まで私を見送りに来る事になるのをさけたのです。ドイツ行きを止めたので、彼は仕事に行くだろうと思ったからです。
しかし、彼は私が喜ぶ事を したい人なので、私のこういう行動を嫌がります。お互いの事を想いすぎて言い合いになる事はよくありました。
じっくり考えれば二人とも分かる事なのですが、私も彼も想った瞬間に勝手に体が動いてしまいます。だから余計な衝突が増えるのです...
 
後悔の3つの事を、全て実現する事は出来ませんでしたが、2つはやり切った。後悔は、1つだけになりました。涙ではなく、汗がダラダラ...
私は彼に、「困った時だけ自分の所に来る。そうでない時は君は離れていくんだ。」 「自分がどんなに愛しているか、君にはわからないだろう」と言われた事があり、悲しくなりました。
そんなに私の愛は、 伝わっていないのだろうか?愛情表現が下手なのだろうか...それとも、プロジェクトの事にばかり夢中だと、彼は感じているのだろうか… そもそも愛とは何なのか...。 そんなグルグル思考になりそうな事が、全て汗になって流れていきました。
彼は最初、私の行動を偽善の様に見ていたかもしれません。しかし、その自分の考えを横に置き、自分にも教えてほしいと言ってくれました。それ自体が私にとっては、教える事はなにもないと思うほどの愛情でした。
そして、私は自分の直感を打ち明けました。「もう二度と会えない様な気がした。」 それに対しても、全てを包み受け取めてくれているような気がしました。
彼もまたこの地球を守る愛の循環に対し、重要な役割を果たしてくれました。

この数週間、私は、表面的には彼を必要とし、求めているにもかかわらず・・・。祈りの時には、「 私の人生の全てを捧げます。結婚も、私の人生も、帯在する国も、最も世界の人々の役に立つ方向に、私をお使い下さい。」と祈っていました。その祈りの方が、彼を私の個人的な 私欲に巻きこむ事なく、彼にとっても最良の幸福につながるのではないかと思って いたからです。
しかし、彼は、言葉にもしていないその祈りを、まるで知っているかの様でした。もしかしたらお互いに表面意識では、離れないつもりでいながら、 既に相手を解き放っていたのかもしれません。彼が私の背中を押してくれている様 な気もして、それを感じると涙が止まらなくなるのです。
彼は食欲も物欲もある普通の現代人に見えますが、いざとなると無欲で、財産を受け取る時も妹達に全てあげた。と言っていました。そして私にも、「君も財産なんて必要ないだろう? 私がいれば十分だろう?」と言いました。

私の性格上、 もしも彼が私を引き止めたら、去る事は容易だったかもしれません。しかし、 私が出来るだけ立ち去りやすい様に背中を押してくれている様な気もして、苦しくなりました。そして、いざとなったら帰る場所もあるとまで…
その愛につき動かされ、私はとうとう決断しました。私は祈り続けてきた通り、公の愛の為に尽くす道を選択します。 
セレンスキー大統領には、以前にもお伝えした通り、私達の企画してきたユニバーサルショットプロジェクトの企画をご提供します。
そしてプーチン大統、私は以前と変わらず、最も公の為に尽くす道を選択したいと思っています。ロシアでお役に立てるのであれば、その道を進めるためにも、プロジェクトにお申し込み頂けないでしょうか? プロジェクトのお申し込みが最も多い国で、進めて参ります。是非とも多くの皆様にお声がけ下さい。

多くの国のリーダーが、危機に立ち向かい、リーダーシップを発揮されています。私心ではなく神の志意を尊重し、従順に、また謙虚に国民を導いていく事は、今最も求められる事であると思います。
私はその様な無私な想いで国民を導かれるリーダーの国において、プロジェクト を進めさせて頂けたら幸いです。婚約者が背中を押してくれた事で、私は 自分の魂の声や本来の使命を見失なう事なく、今成すべき事に気付く事が出来ました。それは一人の愛情溢れる"クレージー ガイ"をはじめ、 私を支えて下さった多くのポーランドで出合った人々の愛によってつき動かされました。彼らから受け取った愛が、東へ向かいあなたの所に押し寄せていると思います。その発端は、米国を通ってきており、さらに その前には日本やアジアから来ているかもしれません。
セレンスキー大統領とプーチン大統領が、それを戦争の終結という形で、具体化して頂けるのであれば、それは神の愛そのものとなっていくと思うのです。
どうか私達がかけがえのない個性を与えられた 個”として存在するだけでなく、自他に眠る共通生命を、愛によって共有する事が出来、一体である事を・・・共に形にして頂けないでしょうか? 自国の為に戦う兵士達、自国の人々、他の国のリーダーや国民。距離があっても 肌の色が違っていても、皆つながっています。
もし今、胸が熱くなっている方がいらっしゃいましたら、あなたの愛も共鳴しこの世界でこの愛の循環の激流の流れをになっています。 それが今、世界をつなぎはじめているはずです。
どうか私達のプロジェクトを、私達の一企業の利益の為と捉えないで下さい。その為に無償でご提供するのでもありません。コンセプトを形にしていく最初の段階から、この世界で「宇宙をつつみこむ愛を結晶化し、そして愛そのものを循環させていきたい。」という想いに全てをかけて、創り上げてきました。
神の愛が、どれほど偉大なものか、
創造主愛がどれほど熱い ものか、
造物主の愛が、どれほど美しいものであるか、
その愛を具現化 する事への恐れや、未熟な自己への不安がなかったわけではありません。しかしそれと戦いながら、人々の愛、自らの内なる愛が目覚め、勝ってきたのだと思います。現状がどうであろうと、私達の中にそのゆるぎない愛 が存在し、それをあなた方に届ける事が出来るのであれば… すでにこのプロジェクトは動き出しているのであり、成功しつつあるのだと思います。
ゼレンスキー大統領は、終結の意志をトランプ氏にも伝えられました。どうかロシアとの交渉を禁止する法案も、却下して下さい。
ロシアのプーチン大統領も、セレンスキー大統領も直接会話をする機会 を持って頂けないでしょうか?ワルシャワでのプロジェクトの受付日を14日まで延長します。

ご自身に相手に伝える事が出来る力がある事、愛がある事を確信して頂きたいのです。戦争中ですので、敵が野獣の様にしか見えないのはあたり前かもしれません。しかし国民や、世界の人々の為に立ち上がって頂きたいのです。互いの国民をこれ以上戦いで失う事なく、守り、国民と世界の人々に安らぎを届ける事を約束して 下さい。そのトップの決意が固まれば、両国の人々は従います。万が一他国が停戦を許さなかったとしても、現場を動かすのはお二人です。 両国の多くの人々が、言葉にも行動にも出来なかった和解が ロシアとウクライナの人々に許される事になるからです。
両国をまたいで存在した家族や親せき、友人、恋人 も手を取り合う事が出来ます。そしてバイデン大統領やNATOの皆様、各国のリーダの皆様、どうか世界各地の戦争や独争の国々を支え、いさめて頂けましたら幸いです。
プロジェクトの受付日を14日まで延長します。ワルシャワにてロシア、ウクライナ大統領が、停戦と終結に向けてのステップを進める事へのご支援、ご指導を謹んでお願い申し上げます。私も必要とされれば、キエフやモスクワに伺い、皆様の意向に従い、プロジェクトを前進させます。

この続きは次回のブログで②に記載します。
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